2020年10月18日 主の小道を教えてください

主はいつくしみ深く正しくあられます。それゆえ罪人に道をお教えになります。

主は貧しい者を正義に歩ませ 貧しい者にご自分の道をお教えになります。

主の道はみな恵みとまことです。主の契約とさとしを守る者には。 詩篇25:8~10(1〜22)

 《神に信頼して》 本篇も、ダビデの作とすれば、「私の若いころの」(7節)とあるので、

彼が歳を重ねた晩年の、アブシャロムの謀反の時を歌ったものと受け取れる。

「私が恥を見ないように」(2、3、20節)と繰り返し出てくるのも、こともあろうに

息子に王座を追われて都落ちせざるを得ない屈辱を味わっていたからであろう。

つい昨日までは腹心の部下として信頼していた者たちが、今日は手のひらを反して反乱側に

次々と走り、自分を追い落とそうと追って来る。

周辺諸国を平定し国家に栄光をもたらした王が、都から離れる身になると、忘恩の民の罵声を浴び、

石を投げつけられるという惨めな状況に置かれた。

迫り来る追手を気にしながら、ダビデは、どこに落ち延びるべきか選択に迷う。

また、息子との争いにどんな決着をつけるべきか、父としての戸惑いもある。

ダビデは、そんな混乱と危機に際し、いきなり神の助けを喚(わめ)き求めない。

今、自分の立つべき所を改めて確認し、明確にする。

「主よ あなたをわがたましいは仰ぎ求めます。わが神 あなたに私は信頼いたします」(1~2節)と、

神のあわれみにより頼んで、この危機を乗り越えようと心を決める。

「神を仰ぎ求める」とは、「神に心を向ける」ことで、先ず神に信頼し、万事を神のご指示に従って

対処することをはっきりさせた。

それから指示を求めて、「主よ。あなたの道を私に知らせ あなたの進む道を私に教えてください。

あなたの真理に私を導き、教えてください」(4節)と祈った。

 《神はいつくしみ深いので》 ダビデは、神を呼び求める中に、若い時から数々の罪を重ねて来たことを

改めて思い出し、心が疼(うず)く。

だが、私のような者が、神の助けを受ける資格があるのだろうか、などと逡巡しない。

「私の若いころの罪や背きを 思い起こさないでください。

あなたの恵みによって、私を覚えていてください」(7節)と、罪深い身であることを承知しながら、

大胆に赦しを乞う。

神の憐みは大きく、神を仰ぐ者たちの罪を赦し、受け入れて助けてくださる方であることを信じているからだ。

後にパウロも、「罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれました」(ローマ5:20)と

記しているが、ダビデはそれを先取りしているようだ。

ダビデは、自分が罪人に過ぎず、神の前にちっぽけな貧しい者であることを弁えている。

でも神は、そんな自分を赦し、顧み、恵みの手を伸べて、教え導いてくださる方であることを、

これまでの経験で味わい、「主はいつくしみ深く正しくあられます。

それゆえ罪人に道をお教えになります。

主は貧しい者を正義に歩ませ 貧しい者にご自分の道をお教えになります。

主の道はみな恵みとまことです」(8~10節)と告白する。

そして「主を恐れる人」として、今後のすべてに対処しようと心を定め、

「私の目はいつも主に向かう。

主が私の足を罠から引き出してくださるから」(12~15節)と自分に言い聞かせた。

 《神よ、あわれみを》 今後の一切を神に委ねて進むとしたダビデは、改めて神を見上げ、嘆願する。

先ず、「私に御顔を向け 私をあわれんでください。

私はひとり苦しんでいます」(16節)と祈り、「ご覧ください。私の敵がどんなに多いかを。

彼らは不当な憎しみで私を憎んでいます。

私のたましいを守り 私を救い出してください。私が恥を見ないようにしてください。

私はあなたに身を避けます」(19~20節)と、まるで部下が上官に助けを求めるように、

ダビデは神に訴える。

ここでは「私の、私に、私を、私は」と、ダビデは自分の苦境を必死に嘆願の連続を繰り返す。

追い迫る敵の気配に恐れながらの救出を願う祈りだが、気を取り直し、神に御前にふさわしく、

節度を弁えたことばで、「誠実で直ぐな心で 私が保たれますように。

私はあなたを待ち望んでいますから」(21節)と語り、王としての責務を覚えて、

「神よ。イスラエルをそのすべての苦難から贖い出してください」(22節)と祈りを結んでいる。

信仰者個々人の苦悩や悲しみは、すべての信仰者に共通するものでもある。

ひとり自分だけが苦しんでいるかのように自己憐憫に浸ってはならない。

また兄弟姉妹の痛みは、教会全体の問題であり、共に祈る課題でもある。

私たちは、共に生きている。いや生かされている。