2020年11月22日 神からの知恵を頂き

名声は良い香油にまさり、死ぬ日は生まれる日にまさる。祝宴の家に行くよりは、

喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者が

それを心に留めるようになるからだ。 伝道者の書7:1~2(1~14)

 《苦難や死は神からの知恵を頂く絶好の機会》 多忙で気忙しくなっている現代社会で、高齢者や体に

疾患を持った方々以外に、自分の「死」を考える余裕などなさそうです。

各自の関心も目の前の事柄でいっぱいです。

ところが、この伝道者の著者ソロモンは、死を見つめるのは「よい」と言います。

苦難や挫折もまた人の歩みを一時ストップさせ、「悲しみ」(3節)は反省を促します。

挫折し失敗して、人は「逆境の日にはよく考えよ。これもあれも、神のなさること。

後のことを人に分からせないため」(伝道者7:14)との言葉が身に沁みます。

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」

(詩篇119:71、参照:申命記8:2~3)との言葉に頷けます。

「死」は、誰も逃れられず、必ず直面する究極の苦難ですが、神からの知恵を頂く絶好の機会でもあります。

死に直面して、人は自分の存在の意義を問わざるを得ませんし、人の限界を痛感し、死後についても考えずには

おられません。

普段、人は楽しいことに目を向け、暗く恐ろしい死について考えることを避ける傾向がありますが、

知者は、死を直視し、死の意味を学びます。

「知恵のある者の心は喪中の家にあり、愚かな者の心は楽しみの家にある」(7:4)。

 《神との関係をもたらす霊的な知恵》 それでは、神が教え諭された知恵とは、どんなものなのでしょう。

先ず「上からの知恵」は、この世界が神によって創造され、統治されていることとと、

そこに生かされている私たち人間は、罪深く弱い存在だが、神に愛され生かされている者であることを教えられます。

そして人間は、神を畏れ敬い、従うために創造されていることを教えられます。

ですから「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ」(箴言1:7)、

あるいは「主を恐れることは、知恵の初め。これを行う人はみな、良い明察を得る。

主の誉れは永遠に堅く立つ」(詩篇111:10)とあるように、神を信頼し服従する存在であることを

認識することが第一です。

この、主を畏れ敬う知恵は、「捨てるな。それがあなたを守る。

これを愛せ。これがあなたを保つ」(箴言4:6)と約束されている基本的なものです。

この「上からの知恵」は,「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです」

(コロサイ2:3)とパウロが述べているように、主イエスを通してキリスト者に与えられている十分な知恵と能力です。

この上からの知恵により、人は「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、

救われる私たちには神の力です」(Ⅰコリント1:18)と告白出来ます。

知恵は、その源である神を畏れるところから始まり、キリストの十字架の信仰へと、人を導びきます。

 《神と人とに仕えるための実際的な知恵》 神は、人は生かし、隣人に愛をもって仕える使命を与えました。

そしてその使命を果たすのに必要な、実際的な知恵と力とを与えてくれます。

王の役目を託されたソロモンは、「あなたに何を与えようか。

願え」と神に言われた時、「今、知恵と知識を私に下さい」と願って叶えられました。

与えられたそれらの実践的な知恵を用いて、ソロモンは王として栄華を極めました(Ⅱ歴代誌1:7~17)。

神は、「わたしの掟と定めを守るなら」(Ⅰ列王記9:54)との条件付きで、「神に従う知恵」を教えられました。

ソロモンは後に、神の掟に背き、異教の国から妻を迎え、異教の神礼拝を導入しました(Ⅰ列王記11:2~3)。

その結果、預言者の警告の通り(Ⅰ列王記11:30~31)、国は分裂し滅びに向かいました。

神から頂いた知恵であろうと、神への恐れを忘れ、神のご臨在とその助けのないところに、

豊かな働きはありません。神に忠実に、最後まで従い通すこと(Ⅰ列王記11:4)の難しさを教えられます。

しかし、私たちの羊飼いキリストは、私たちを御国に至るまで、決して見放さずに導いてくださいます。

「強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。

あなたの神、主ご自身があなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない」(申命記31:5)。

愛に満ちた知恵なる方が、私たち各自の生涯を導いてくださる。何と感謝なことでしょう。