2020年11月15日 主は大洪水の前から御座に

主は 大洪水の前から 御座に着いておられる。主は とこしえに 王座に着いておられる。

   詩篇29:10(1〜11)

 《主の声は水の上にあり 3~9節》聖書の神は、アブラハムを召し、彼の子孫イスラエルの民を

エジプトから救出し、カナンの地に導かれた歴史の主である。

同時にまた、万物の創造主、自然界の王でもある。神は太陽を日毎に昇らせ、

月星で大地を覆い憩いの夜をお備えくださり、動植物には雨露で地表を湿らせ、そのいのちを保ち、

成長を促す恵みの主である。

しかし、創造主はまた、雷鳴と稲妻、暴風を自在に操り、圧倒的な力をお持ちの恐るべき方でもある。

人はその神の前に、恐怖と畏敬の念をもって跪き、崇め賛美すべきことをこの詩は教えている。

 「主の声は水の上にあり・・・大水の上に」(3節)の「水(大水)」は、西の地中海か、

そこから湧きあがってカナンの大地の上空を覆う雨雲を指す。

黒雲の上から響き渡る雷鳴は、大地を震え上がせる。

その雷鳴の主は、神であることを、「主の声」だと七度も念を押して示す。

「主の声は 杉の木を引き裂き・・・打ち砕く。それらの木々を子牛のようにレバノンとシルヨンを

若い野牛のように跳ねさせる」(5~6節)。

シルヨンはヘルモン山の別称、カナンの北に三千メートル級の諸峰を連ねるレバノン山脈も雷雲に覆われる。

山麓に聳えるレバノンの香柏と珍重された巨木も強風に倒されんばかりに揺さぶられ、

時折の稲光に浮かぶ様子は、まるで飛び跳ねる若い野牛のようだという。

大地を揺るがす暴風、大森林をも裸に焼き尽くす稲妻。

そして、湧き上がってそそり立つ黒雲の背後から全地に響き渡る雷鳴は、世界の王者としての

神の圧倒的な力と威厳を人に教える。

神の偉大な力をカナン北部に示した嵐は、カナン全土を南に吹き抜け、カデシュバルネアの荒野にまで

その威光を知らしめる。

神の恐るべき力に圧倒された天地のすべて、山も野も、そこに生い茂る木々とそこに住む生き物、それらのすべてが、

偉大な神の前に膝まづき、首を垂れて、「(主に)『栄光』と言」(9節)い、創造主を礼拝し、頌栄する。

 《主に栄光を帰せよ 1~2節》このような神の力を示された民は、改めて主なる神こそ万物の創造主、

全地の支配者であり、高山も、巨木のレバノン杉も、みな神の手によって造られ植えられて今日に至っていることを知る。

いささかなりとも誇るべきものが自分にあるとすれば、それらはみな神からの賜物、お与えくださった神にこそ感謝し、

栄光を神に帰そうと、詩人は繰り返し促す。

「栄光」とは、「重い」という言葉に由来し、「威厳、尊厳、光栄、権威」等を意味する。

神の栄光は、自然界だけではなく、「ファラオとその戦車とその騎兵によって、わたしが栄光を現すとき、

エジプトは、わたしが主であることを知る」(出エジプト14:18)と言われたように、

むしろ救済の業として顕される(参照イザヤ35:1~2、ハガイ1:8)。

大自然の驚異は、人の力で埋め尽くされている都市ではなく、自然の懐に飛び込んで知り得る。

神の恵みの力は、み言葉に従い行く信仰の旅路で味わえる。

神とその栄光に接しよう。そして、神の御手の中に生かされている自分であることを知り、

自分に何か良いことが出来た、また良いものを得たとすれば、それは神からの恵みの賜物である。

そこで神への感謝を欠くならば、その賜物はやがて取り上げられる(参照使徒の働き12:23)。

 《主は御座に着いておられる 10~11節》「大洪水」(10節)とはノアの洪水を指し、「御座」は、

その審判と統治の座を意味する。

御座におられる創造主の神は、「ご自分の民に力をお与えになる。

主は、ご自分の民を、平安をもって祝福される」(11節)。

神は、神を崇める民のため、その大能をもって平安を創造し祝福を注いでくださる。

その御座から、全人類を罪の洪水から救出するための箱舟の用意を推進してくださった。

私たちは今、「キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、

ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるの」(ピリピ3:21)を待つ身とされている。

今、どんな嵐の中に置かれていようと、圧倒的な力をもって、ご自分の民に平安の祝福をお与えくださる神を、

「栄光、とこしえにあれ」と共に声をあげて拝そう(詩篇115:1)。

さらに一歩進んで、神に誠実に仕えて歩み続け、主イエスが言われた、「人々があなたがたの良い行いを見て、

天におられるあなたがたの父をあがめるようになる」(マタイ5:16)との言葉に沿う者でありたいものだ。