2020年5月31日 一日の開始は神への祈りから

主よ 朝明けに私の声を聞いてください。朝明けに私はあなたの御前に備えをし仰ぎ望みます。詩篇5篇3節(1~12節)

 この5篇の作者ダビデは、「朝明けに」と繰り返し(3節)、一日を始めるに先立って、「私の叫ぶ声を耳に留めてください。

私の王私の神 私はあなたに祈っています」(2節)と、神の守りと祝福を懇願している。

 《敵対する者がいるが》人は皆、期待と喜びをもって一日を開始するとは限らない。むしろ、今日取り組まなければならない

困難な課題や、過度のノルマ、あるいは悪意や敵意を抱く人との関係で不安と緊張を覚え、心の重くなる時も稀ではない。

敵は外だけではない。

自分の心から湧き出て来る罪の数々が、悪に走らせ、取り返しのつかない結果を招き、苦境に至らせることもある。

ダビデは、サウル王の亡き後、混乱していたイスラエルの王となり、12部族を取りまとめ、周辺諸国との争いを終わらせようと

したが、敵も多く、神に「私を待ち伏せている者がいます」(8節)と訴えざるを得なかった。

そこで彼は、一日の始まる朝明けに、先ず神の前に出て助けを求めて祈った。「私のことばに耳を傾けてください。主よ。

私のうめきを聞き取ってください。 私の叫ぶ声を耳に留めてください。主よ 朝明けに私の声を聞いてください。

朝明けに私はあなたの御前に備えをし 仰ぎ望みます」(1~3節)と、必死の祈りにならざるを得なかった。

「私たちをして一日の朝と生涯の朝とを神に捧げ占めよ。祈祷はその日を開く鍵であらねばならぬ。」(スポルジョン)。

困難や敵意を、人は故意に招く必要はない。しかし、イエスは「わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれます。

しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます」(マタイ10:22)と言われた。

キリスト者であるゆえに抱える問題を避けてはならない。

 《神は悪を喜ばない》問題があり敵があろうと、それらに心を左右されてはならない。

目前の課題に圧倒され諦めて目をつぶるのではない。見えない神に希望を置く。ダビデは、共におられる神が、「悪を喜ぶ神ではなく

わざわいはあなたとともに住まない」(4節)ことに気づく。

神は、わざわいや悪人をご自分の客に招くことはない。信じる者だけが、恵みによって神の住まいに住むことを許されている。

ダビデは、彼の敵である「誇り高ぶる者たちは 御目の前に立つことはできません。あなたは不法を行う者をすべて憎まれます。

あなたは偽りを言う者どもを滅ぼされます。主は人の血を流す者や欺く者を忌み嫌われます」(4~6節)と、祈りの中で確認する。

彼の敵は、彼と共におられる神の御前に立つこと許されず、神の怒りと憎しみを買い、忌み嫌われて滅ぼされる身である。

ダビデは「神よ 彼らに責めを負わせてください。彼らが自分のはかりごとで倒れますように。その多くの背きのゆえに彼らを

追い散らしてください。あなたに逆らっているからです」(10節)と、神の義の審きを求める。

その祈りは、キリストの十字架によって最終的に成就した。悔い改めるなら、悪人さえもが、神の赦しに与れる恵み溢れる正義として

(参照ルカ23:34)。ダビデも罪人のひとりなのだから。

 《神に信頼する者への祝福》ダビデは、神に信頼する我が身への神の守りを確信し、さらに神の宮(ダビデの当時は幕屋)での

礼拝を通して、なお神の導きを切望する(7節)。

今までは「私」「私」と自分の問題だけでいっぱいであったダビデは、ここに来て、王としての視野に立って祝福を祈る。

「どうかあなたに身を避ける者がみな喜びとこしえまでも喜び歌いますように。あなたが彼らをかばってくださり御名を

愛する者たちがあなたを誇りますように」(11節)と。

「喜び、歌、愛、誇り」と歓喜と希望と明るさに溢れて、その日の課題に取り掛かる。

最後に、「主よ まことにあなたは正しい者を祝福し 大盾のようにいつくしみでおおってくださいます」(12節)と結ぶ。

神を信じる者は、神の大盾で全身が覆われている。前だけではない、前後左右を、神の愛の大盾で囲み保護されている。

もちろん私たちは「正しい者」に程遠い。しかし、救い主イエスを信じ、罪深い者ではあるが、キリストの義の衣を与えられている

私たちは、ダビデに勝って神の愛を承知している。

「私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」(ローマ8:39)と、パウロと共に宣言する。