2020年7月5日 神は承知しておられる

あなたは見ておられました。労苦と苦痛をじっと見つめておられました。それを御手の中に収めるために。

・・・主よ。あなたは貧しい者たちの願いを聞いてくださいます。

あなたは彼らの心を強くし、耳を傾けてくださいます。みなしごと虐げられた者をかばってくださいます。

地から生まれた人間が、もはや彼らをおびえさせることがないように。 詩篇10篇14,17~18節(1~18節)
 

 独裁者の統治する国家が今もなお存在し、わずかな者に富が集中する一方、その日の糧に苦労し、

路上での生活を余儀なくされている者が増えている。

いじめに耐えかねて死を選ぶ子供たちが絶えない。聖書の神は、現実の問題に無関心なのでは、

と疑問に覚えることもあろう。

同じ思いをもって、詩人の言葉に学ぶ。

 《邪な者の神を侮る現実》キリストの神が、私たちの営みのすべてに関心をもっておられるとすれば、

心強く、安心である。

しかし、私たちの現実は、信仰者が万事順調で栄える、不信者の営みは問題を抱えて衰える、

という風には見えない。

逆に「苦しむ人、貧しい者」が、神を侮る「悪しき者」の企みで苦境に立たされ、迫害されている現状がある。

悪しき者は「貪欲な者」(3節)とも呼ばれ、苦しみ人に追い迫り痛めつけ(2節)、彼の口は欺瞞と

虐待と呪いに満ち、罪なき者を秘かに待ち伏せし殺害する(7、8節)。

彼の目は、頼る者のいない不幸な人を獲物に定め、機会をうかがって網にかけて倒している(8~10節)。

悪しき者は傲慢で神を畏れない。彼も神の存在を否定はしない。

だが、人間のことなど「神は忘れているのだ。顔を隠して永久に見ることはない」(11節)と考えている。

神は、人間のことには無関心で忘れてしまっている(11節)。

彼の生活は、「『神はいない』、これが彼の思いのすべて」(4節)の上で営まれており、

「自分自身の欲望を誇り・・・主を呪い、侮り」(3節)、

「私は揺るがされることがなく代々にわたってわざわいにあわない」(6節)とうそぶいている。

「敵という敵を吹き飛ばして」(5節b)、「彼の強さに、不幸な人は砕かれ、崩れ、倒れ」(10節)る

現状に満足し、王にでもなったかのように振舞う。

彼は、自らの罪深さのゆえに神の深い計画を理解できず、理解しようともしない(5節a)。

 《神は信仰者に無関心なのか》一方、信仰者は、神を侮る者が「いつも栄え」(5節)、

貧しい者や苦しむ人が虐げられている現状に、神はなぜ介入してくださらないのか、

不正や暴虐をなぜ許しておられるのか、と神への不信を募らせ、

「主よ。なぜあなたは遠く離れて立ち 苦しみのときに身を隠されるのですか」(1節)と、

神をなじるかのように切々と訴える。

詩人は、一向に変わらない現状に苛立つが、神こそが世界の真の統治者であることを疑わず、

神に背を向けず、神の介入を願い続ける。

 その祈りの中で、彼は神への信頼を新たにし、「あなたは見ておられました。労苦と苦痛を

じっと見つめておられました。

それを御手の中に収めるために」との確信に至る。そして、「不幸な人は、あなたに身をゆだね、

みなしごは、あなたがお助けになります」(14節)と言い切る。

「心の中であなたが追及することはないと言ってい」る横着で傲慢な悪人どもの腕をへし折り、

彼らの悪行を一つも逃さずに、それらに相応の罰を加えてくださるようにと祈る(15節)。

 《弱者への不当な悪を決して許さない神》創造主にして義と慈しみの神は、不義を許さず、

弱者の友であり、権勢を誇った国々も歴史の流れの中に姿を消したが、復活のキリストは、

永遠の王である(16節)。

この方は、貧しい者たちの願いを聞き、訴えに耳を傾け、彼らの心を強くし、世に軽んじられ

虐げられている身よりのない孤児などを、「もはや、おびえさせることがないように」(18節)

かばってくださる、と賛美するに至る。

使徒パウロも、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、

神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ8:28)

と記したが、私たちもその現実の変化を味わいたい。

詩人は、暗雲の立ち込めていた世界に薄日が差し始め、明るい日差しに照らしだされているように、

世界の隅々にまで、生ける神のご支配が行き渡っていることを確信して神を賛美する。

確かに「主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない・・・主は、

あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰」(詩篇121:3、5)である。