2020年6月21日 主の顧みの中に

人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。

あなたがこれを顧みられるとは。あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠を

かぶらせました。 詩篇8篇4~5節(1~9節)

《世界は神の栄光を告げている》ダビデは今、ひとり夜空に広がる月と星々の無限の広がりと神秘の光を仰ぎ、

薄明りの下に重なり合って連なる山々と谷、草の茂みと森を眺め、その中で眠る動物や鳥に思いを馳せる。

そして、それらすべてを古の時代に無から創造し、その運行と営みを守り続けておられる神を想い、思わず、

「私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。」との賛美と

なったのであろう。

普段、人々の喧騒の中でモノを言うのは知恵や力であり、対応する能力と努力の捻出や動員できる数字である。

だが、それらの人の力や知恵も、大自然の威力の前に、物の数ではない。

9年前の東日本の大震災や昨年秋の激しい風雨の前に、人は自分たちの無力さを知らされる。

今回の新型コロナウイルスにも、人間の日常の営みがことごとく中断を余儀なくされた。

旧約の預言者たちも、町を離れてひとり荒野で神の前に立ち、人の小ささと神の偉大さを覚え、神の言葉が

この世界を産み出し、響き渡る神の言葉に、万物が呼応して動いていることを胸に刻んだ。

神の創造の不思議さは細部にも及ぶ。

人間の身体一つ取り上げても、神の知恵と不思議さに満ちている。60ミクロンという極小の精子に、

生まれてくる子の身体や能力また性格をも含む膨大な遺伝情報が書き込まれている。

万物のことごとくが見事に一致して運行する様を見れば、誰もが創造主の神の支配を想わざるを得ない。

しかし、人は罪の故に高ぶり、己の弱さを認めようとはせず、主なる神の前に自分を主張し続ける。

ただ、幼子たちだけが、人の知恵や力に煩わされず、己の弱さを素直に認め、神に己を委ね切る。

だが、己の力を誇る者らは、「幼子、乳飲み子の口によって。あなた(神)は刃向かう者に向かって砦を築き、

報復する敵を絶ち滅ぼされ」(2節 新共同訳)る。

この預言は、イエスにおいて成就した(マタイ21:15~16、参照18:3)。

「神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、

この世の弱い者を選ばれたのです」(Ⅰコリント1:27)。

 《人は神の心に留められている》「人間は自然の中で一番弱い葦であるにすぎない・・・かかる人間を

粉砕するためには、宇宙が武装する必要などない。

一息の蒸気、一滴の水をもってして、人を殺すに十分である」(パスカル「パンセ」)との言葉がある。

4節「人 エノーシュ」は「弱い、脆い、死すべきもの」、「人の子 ベン・アダーム」は「土から出たもの、チリの子」

を意味し、万物の創造主の神の前に、地上の人間の卑小さをはっきりと示している。

ところが、その全地の支配者であられる神が、「これを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。

あなたがこれを顧みられるとは」と、ダビデは驚嘆し、「あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、

これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。

あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました」(4~6節)と感激する。

「神よりいくらか劣るもの」とは、「神のように完全ではないが、神に似たもの」の意である。

地球に寄生するカビのような小さく、有害な罪人に過ぎない人間を、神は、愛し顧みて救い出し、

なおもこの世界の統治をお委ねてくださった。神は「その民を顧みて、贖いをなす」(ルカ1:68)方と

あるが、何という幸いなことであろうか。

キリスト者は、いかに不完全で、愚かな過ちを重ねる者であろうと、「あなた(神)の御手の多くのわざを

人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました」(6節)との、光栄ある使命を託されている。

各自が具体的に治める範囲は小さい。しかし、その中にも、動植物や自然環境があり、職場や隣人たちとの

関りがある。その治めるべきところが神に敵対する者の支配下にあるように思える。

しかし、動じることはない。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています」

(マタイ28:18)と宣言された主イエスが共におられ、その主と共に「あなたがたは、選ばれた種族、

王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民」(Ⅰペテロ2:9)として立てられているのだから。