2020年7月19日 信頼と平和をもたらす救い

 私には、あなたがたに対する大きな確信があり、あなたがたについて大きな誇りがあります。

私は慰めに満たされ、どんな苦難にあっても喜びに満ちあふれています。 第Ⅱコリント7章4節(1〜10節)

 不安が広がる中、人と心を合わせることがむずかしくなっています。

この困難の時代になって、信仰が、私たちにすばらしい助けを与えてくれることを共に確かめましょう。

 《信仰によって互いに心を開き合うことができる 1-3節》 忍耐の末に築かれたコリント教会でしたが、

パウロが去った後、教会は正しい教えから離れ、パウロを拒んでしまいました。

パウロは彼らの回復のために尽力しましたが、好転しません。

しかしコリントを訪問した弟子のテトスが、教会が立ち直ったことを報告してくれました。

それを受けてパウロが書いた手紙がこれです。

今、私たちが経験する困難は、感染症の害だけでなく、不安が社会や家庭や人生を蝕んでいることです。

心を開いて交わり合うことがむずかしい状況です。

パウロは、主の約束を思い起こさせ、聖さを確かにするよう励まします。

私たちが主を求めると、主は私たちの父として共におられ、兄姉を一致させ、祝されるからです(6:17-18)。

 パウロたちは、自分たちを拒んでいた教会の人たちに、自ら心を開いて語りかけ、「あなたがたも

心を開いてほしい」と呼びかけました。

彼らの自分への非難は当たらないとパウロは主張するが、それは彼らを責めるためでなく、共に生き共に

歩むためだと、愛と信頼を示しました。

トラブルや行き違いが起こっても、まず自分から交わりの手を差し伸ばしましょう。

私たちがまだ罪人であった時に、キリストは私たちのところに来られ、自ら十字架で私たちの罪を負って赦しを

与えて下さいました。

私たちは、考えや立場が違っていても、同じ主を信じる者であり、主が同じ教会に結びつけて下さいました(1コリ12:27)。

 《信仰によって大きく信頼し合うことができる 4-7節》 パウロはコリント教会の兄姉に対して、大きな確信、

大きな誇りを持っていると証ししました。

コリントの兄姉を信頼し、彼らが立ち直り、主にあって一致を回復できると信じ期待していたのです。

また、コリントの兄姉を誇りとし、関わることができて光栄です、と告げました。

この確信は、主が彼に下さった揺るがない愛と期待と信頼があったからです。

パウロはかつて、主と教会に強行に反対し、迫害する者でした。

このことで彼は自分を「罪人のかしら」と告白しています(1テモ1:15)。

そんな自分を主が赦して救い、福音を委ねてくださった恵みを忘れませんでした。

このキリストの愛と期待と信頼を覚える故に、自分を拒んだコリント教会への愛と期待と信頼は揺るがなかったのです。

パウロの一喜一憂は、霊の子たちを愛する親心でした。

彼が、教会ために心を痛め悩んだのはその愛ゆえでした。

しかし、それに倍して、教会が立ち直った時には喜びました。

主は私たちの親として、私たちを愛し、また悩み、また喜んで下さいます。主にある兄姉もそうです。

この救い主からの愛と期待と信頼を受けていることを知っている故に、私たちは、愛が冷え、恐れと不信が

うずまく時代にあっても、愛と希望と信頼を広めることができます。

世の人には「愚か」と見えても、これこそが人の知恵と力に優るところの神の知恵と力です。

善意をもって接する、自ら愛と信頼を示す、これが世の光、地の塩として聖徒の働きです。

 《主が痛みや悲しみをも益として下さる 8-10節》 パウロは、心を鬼にして、コリントの兄姉を叱りました。

愛の叱責です。厳しいことばに、コリントの兄姉は悲しみ反発しました。

熱心であっても誤った教えに捕えられていたからです。

その彼らが、自分たちの誤りに気付いて悲しんだと聞き、パウロは喜びました。

彼らが悲しんだからでななく、彼らが主に立ち返ったからです。

悔むだけの悲しみは、絶望と神との断絶を生むだけです。

しかし、みこころにかなった悲しみは、神に立ち返らせます。

神は赦しておられ、迎えようと手を差し伸ばしておられます。

譬えにある放蕩息子が、父親のもとに帰ったように帰れば良いのです。

取税人ザアカイ、姦淫の現場で捕えられた女性、十字架の強盗、迫害に向かう途中で主に会ったパウロ自身もそうでした。

主の救いによって、良いことも悪いことも、あらゆることが益と変えられます。

主の約束の通りです(ローマ8:28、1コリ15:58)。

私たちは主に愛されている事を覚え、主の愛に応えて行きましょう(1ヨハネ3:16,18)。