2020年8月2日 正しい者は一人もいないが

 見よ 彼らは大いに恐れた。神は正しい一族とともにおられるからだ。

おまえたちは苦しむ者の計画を踏みにじろうとするだろう。しかし、主が彼の避け所である。

詩篇14:6、7(1〜8)

 《神を求めない人間》神は万物を創造し、私たち人間にそれらを統治管理する責務を委ねられた。

この世界の秩序を否定し、神に生かされ責務を担うことを放棄し、神を無視する人を、詩人は「愚かな者」と

断じている(1節)。

「『神はいない』と言い、主を呼び求めず、神を求める者がいない」(1、2、4節)という神否定の結果、

「彼らは腐っていて忌まわしいことを行う。善を行う者はいない」(1節)状況を招いた(1節)と指摘する。

ローマ書は、この詩篇を、「義人はいない。一人もいない。悟る者はいない。神を求める者はいない。

すべての者が離れて行き、だれもかれも無用の者となった。善を行う者はいない。

だれ一人いない。」(ローマ3:10~12)と敷衍し、人間の罪の根源に、

「神を求める者はいない、神から離れて行く」神否定があると指摘している。

神の否定は、迷信からの解放でもなければ、学問の進展を意味するものでもない。

逆に、「主を恐れることは、知識の初め」であり、神を敬わぬ「愚か者は、知恵と訓戒を蔑む」(箴言1:7)。

不信者は、神を無視した生き方を選び、神の存在を論理的にも否定しようとした。

その結果、人は自分の存在の根拠、意義を失い、勝手な振る舞いと混乱、虚無、倫理的退廃などを産み、

結局は神を求めて偶像崇拝に走った。

イエスの譬えに、自分が造った大事な葡萄園を農夫たちに貸し、旅に出た人の話がある(ルカ20:9~16)。

持ち主は神を意味し、収穫時に収穫の分け前を受け取ろうと使者を派遣したが、農夫たち(人間)は使者を追い返し、

督促に来た持ち主の息子(イエス)をも殺して農園を自分たちのものにしようとした話である。

神否定の不信者は、この譬えの農夫の考えや行動と同じで、間違った前提で物事を判断し、

現実を見誤っている愚か者である。

聖書は人間の現状を、「彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いは

むなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。

彼らは、自分たちは知者であると主張しながら愚かになり、朽ちない神の栄光を、朽ちる人間や、鳥、獣、

這うものに似たかたちと替えてしまいました。

そこで神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡されました」(ローマ1:21~24)と指摘する。

「すべての者、だれもかれも、だれ一人いない」(3節)は、詩人当人も含む。エレミヤ5:1参照。

 《人を求める神》創造の当初はすべてが「非常に良かった」(創世記1:31)のに、

現状は「だれもかれも無用な者となった」(3節)。

では、人間は絶望するしかないのか。いや、希望がある。神は「善を行なう者はいない」(1節)と言われたが、

なおも「天から人の子らを見下ろされ」、「悟る者、神を求める者がいるかどうかと」見つけ出して

祝福しようとなさる方である(2節)。

「神は正しい一族とともにおられる」(5節)。「義人は信仰によって生きる」(ローマ1:17、ハバクク2:4)と

あるように、「正しい一族」とは、神を求め、神に信頼して生きようと願う人々を指す。

自分の罪を認めて悔い改め、神の赦しと助けを乞う者たちの求めを、神は決して無視なさらない。

確かに、人は誰も「主を呼び求めない」、いや求める思いを、自分から抱くことは不可能である。

しかし、憐みに富む神は、御子キリストの救いを設け、頑なな私たちの心に聖霊のお働きを通して、

神を求める思いをお与えくださった。

「主に愛されている兄弟たち。私たちはあなたがたのことについて、いつも神に感謝しなければなりません。

神が、御霊による聖別と、真理に対する信仰によって、あなたがたを初穂として救いに選ばれたからです。」

(Ⅱテサロニケ2:13、参照Ⅰペテロ2:9~10)。

「ああイスラエルの救いがシオンから来るように。主が御民を元どおりにされるとき、

ヤコブは楽しめ。イスラエルは喜べ」(7節)と詩人の期待した願いは、イエス・キリストによって成就した。

私たちはその素晴らしい恵みの中に生かされている。

「苦しむ者(信仰者)の計画を踏みにじろうとするだろう。しかし、主が彼の避け所である」(6節)。

もはや、恐れることはない(ローマ8:31~37)。