2020年8月23日 御翼の陰にかくまってください

あなたの右の手で奇しい恵みをお示しください。向かい立つ者どもから身を避ける者を救う方。

瞳のように私を守り御翼の陰にかくまってください。   詩篇17:7~8(1〜15)

 《主よ、耳を傾けてください 1~6節》 詩人は今、「私たちの跡をつけ 今 取り囲み 目を据えて

 地に投げ倒そうとし」、「まるで かみ裂くことに飢えた獅子 待ち伏せしている若い獅子のよう」な

敵に追い詰められ(11~12節)、必死に神に助けを懇願している。

「聞いてください。耳に留めてください。耳に入れてください」(1節)、

「私に耳を傾けて私のことばを聞いてください」(6節)と、詩人は、自分の窮状を神に訴え、

神が耳をそばだてて傾聴し、理解して救出の手を伸ばしてくださるようにと祈っている。

彼が、自分の願いを「正しい訴え」(1節)と言ったのは、パリサイ人的な自己義認の主張をしているのではない。

「罪人の頭」と自分を称したパウロも、「私にはやましいことは少しもありません」(Ⅰコリント4:4)と

主張したように、詩人の懇願は、決して「欺きの唇から出たもの」(1節)でも、

後ろめたい邪心から出たものではないと訴えているに過ぎない。

事実、詩人は、夜毎にその日の落ち度の有無を確認し、悔い改める生活を大事にし、

「私の歩みは あなたの道を堅く守り 私の足は揺るぎませんでした」と言えた。

ことばの面でも、「私は口の過ちを犯さないように心がけました」(3~5節)と言っている。

これまでの経験から、詩人は、彼の神は「私に答えてくださる」(6節)方であり、

「向かい立つ者どもから身を避ける者を救う方」(7節)であった。

そこで今、遭遇している危機からの救出を、詩人は神に祈り求める。

いかなる危機であろうと、神が味方であれば恐れることは無い。

神は、耳と心とを傾けて、私の置かれた立場を理解して必要な措置を取ってくださる。

主イエスは、「あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、

わたしがそれをしてあげます」(ヨハネ14:14)と約束された。

詩人の神は、助けを求める者を決して軽んじない。

ひとりひとりをかけがえのない愛の対象として、ご自分の「瞳のように守り 御翼の陰にかくまう」(8節)

方である。だから私は、主イエスと共に行く生涯が、苦難の旅であろうとも恐れない。

 《詩人を襲う悪しき者たちからの救出 7~15節》 10節の「鈍い心を固く閉ざし」は「脂肪を閉じ込め」

という表現である。

「脂肪」は頑迷、鈍感を意味する(参照詩篇119:70)ことから、詩人を苦しめる獣のような敵は、

その心が頑迷さと高慢さで踏み固められ、信仰心や倫理性の入る余地がなく、

人にはこの地上での生涯だけしかないと思い込んでいる。

詩人は、彼らを「相続分が地上のいのちであるこの世の人々」(14節)と表現している。

そのような、神を神とも思わない不信の民である彼らは、「あなた(神)の蓄えで 彼らの腹は満たされ

 子たちは満ち足り その余りを さらにその幼子らに残します」(14節)と、

彼らの豊かな暮らしぶり詩人は描写している。

悪人の栄華、不信者の成功を目にして、私たちは疑念を抱く。

神は、「義をもって世界をさばき 公正をもって諸国の民をさばかれる」(詩篇98:9)方のはずなのに、なぜかと。

カルバンも「悪しき者らが・・・あたかも神が彼らをその膝の上において養い、他のすべての者よりも優しく扱い、

これを甘やかされるごとく、しばしば彼らを極めて大事に、かつ豊かに遇せられることを、我々は目にする」と

記している。

だが、悪を重ねて富を得、不正によって権力の座に着く者たちを羨むことはない。

彼らの腹が、神の宝で満たされ肥え太ったとしても、彼らは屠りの日に備えて太らされているに過ぎないのだから。

悪人の繁栄に心が一瞬騒いでも、詩人はなお神の真実を信じ、「主よ 立ち上がり 彼の前に進み行き

 打ちのめしてください。あなたの剣で 悪しき者から 私のたましいを助け出してください」(13節)と、

救出を神に訴える。さらに、「しかし、私は」と言葉を継ぎ、たとえ待ち伏せしている「飢えた獅子」(12節)に

引き裂かれて死んだとしても、「私は 義のうちに御顔を仰ぎ見 目覚めるとき 御姿に満ち足りるでしょう」(15節)

と詠う。

地上には矛盾混乱があり、不条理としか思えない現実も少なくない。

自分の惨めな状況と、神を神とも思わない者たちの成功と栄誉など、受け入れがたいことは多い。

だが詩人は、神の国に目覚めることが出来るので、それで十分、満足だ、と言う。

「御顔を仰ぎ見る」(15節)という神との交わりに招かれることこそが、人間の究極の幸いなのだから。