2020年9月13日 我らの神の名によって旗を高く掲げる

私たちは、あなたの勝利を喜び歌い、私たちの神の御名により旗を高く掲げます。

あなたの願いのすべてを主が遂げさせてくださいますように。

今私は知る。主が主に油注がれた者を救ってくださることを。

右の御手の救いの御力をもって、聖なる天からその者に答えてくださることを。 詩篇20:5~6(1〜9)

 《戦い先立つ祈り 1~5節》 この第20篇の詩は、王の出陣前の祈りである。

モアブとアンモンの連合軍の来襲に、ユダの王ヨシャファテは、全土の民に断食を命じ、

集まった民と共に神に助けを求めて以下のように祈っている。

「私たちの神よ。彼らをさばいてくださらないのですか。攻めて来るこの大軍に当たる力は、

私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいのか分かりません。

ただ、あなたに目を注ぐのみです」(Ⅱ歴代誌20:12)と。

数々の困難に遭遇したダビデだが、「このように主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を

与えられた」(Ⅰ歴代誌18:13)と、聖書は伝えている。

彼のいっさいの勝利は、彼の力や知恵によってではなく、彼に油を注いで王とされた神から

与えられたものである。

王たる者は、「馬は戦いの日のために備えられる。しかし救いは主による」(箴言21:31)と信じ、

「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る」(詩篇62:1)と、

戦いに臨む前に、祈りの時を持つことを何よりも大事とする。

民もまた王に倣い、「我らの王を助け、王の計画を祝福し遂行させてくださるように」と

「神の御名」に嘆願する(1~5節)。

「主の名は堅固なやぐら。正しい人はその中に駆け込み、保護される」(箴言18:10)からだ。

そして彼らは、勝利を確信し、神のみ旨に従って戦う兵士の軍旗を高々と掲げる(5節)。

困難に際して大事なことは、先ず「救いは主にある」(詩篇3:8)と信じ、慌てずに

神のみ前に静まってみ旨を伺い、助けを求める。

そして上からの導きを祈りつつ行動を開始することである。キリスト者としての旗幟を鮮明にして。

 《油注がれた者の救い 6節》 民の祈りに励まされ、ダビデは「今、私は知る。

主が主に油注がれた者を救ってくださることを。右の御手の救いの御力をもって聖なる天から

その者に答えてくださることを」(6節)と確信し、祈りの場から立ち上がる。

「主に油注がれた者」とは、直接には、神がご自分の民を委ねる王として、油を注いで任命した

ダビデ自身を指す(Ⅰサムエル16:13)が、王の王として世に遣わされたメシヤ・キリスト

(「油注がれた者」の意)をも指す。

いや、キリストの救いに与った私たちも、油注がれた者である。

パウロは「私たちをあなたがたと一緒にキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注がれた方は神です」

(Ⅱコリント1:21)と言い、ヨハネも「あなたがたには聖なる方からの注ぎの油があるので、

みな真理を知っています」(Ⅰヨハネ2:20)と記している。

だから私たちキリスト者はみな、「今、私は知る。主が主に油注がれた者を救ってくださることを。

右の御手の救いの御力をもって聖なる天からその者に答えてくださることを」(6節)を、

ダビデと共に神を賛美し、苦難に勝利できることを確信する。

そして「これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な

勝利者です」(ローマ8:37)とのパウロの言葉に、「アーメン」と同意する。

 《神こそ勝利の鍵 7~9節》 ダビデ王は立ち上がって民と共に確認する。

「ある者は戦車を、ある者は馬を求める。しかし、私たちは、私たちの神、主の御名を呼び求める」(7節)と。

迷いは去った。恐れもない。戦車や軍馬では敵は優勢であり、味方は劣勢だ。敵はそれを誇って攻撃して来た。

しかし、私たちの旗印は「主なる神、万軍の主」であると奮い立つ。ダビデは若き日に、青銅の鎧に身を包み、

巨大な槍をもって立ちはだかる巨人ゴリアテに、丸腰で立ち向かい、「おまえは、剣と槍と投げ槍を持って

私に向かって来るが、私は、おまえがそしったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かう。

今日、主はおまえを私の手に渡される・・・ここに集まっているすべての者も、剣や槍がなくても、

主が救いをもたらすことを知るだろう。

この戦いは主の戦いだ。主は、おまえたちをわれわれの手に渡される」(Ⅰサムエル17:45~47)と言って勝利した。

巨大な問題も、最後には「膝をつき倒れ・・・私たちはまっすぐに立ち上が」る(8節)。

鍵は主なる神であり、信仰者には「神よ。お答えください」と祈る解決のカギが渡されている。

信じて祈り続け、答えを待とう。