神の国の福音とその聞き方   2019.3.31礼拝説教

 そこで、イエスは言われた。「あなたがたには神の国の奥義が与えられていますが、外の人たちには、すべてがたとえで語られるのです。それはこうあるからです。『彼らは、見るには見るが知ることはなく、聞くには聞くが悟ることはない。彼らが立ち返って赦されることのないように。』」  マルコ4:11~12(1~20)
 《福音とは神の国到来の告知》
 キリストの語られた言葉は、「神の国の福音である(1:14~15、4:26、30等)。神の国とは、旧約聖書に約束されていたメシヤが王として支配なさる国であり、神の正義と祝福に満ちた国であり、最初の人アダムとエバが神との親しい交わりの中で過ごしたエデンの園のような世界である。その国の市民となる資格は、神に背いて来た自分の罪を悔い改め、キリストの十字架の贖いを信じることである。その結果、人は罪を赦され、神の子とされ、新しいいのちをいただいて、神の国に迎えられる。
「見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」(ルカ17:21)とあるように、神の国はすでに地上に存在している。だが、それはキリストを信じる者の目にだけ映るもので、誰の目にも明らかになるのはキリストの再臨の時まで待たなければならない。でもその時には、信じなかった者に入国の機会はもはやない。神の国は、神への感謝と信頼をもって神を賛美し、仕える市民の国であるからだ。
 今の招きを拒んではならない。「私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。」(ピリピ3:20~21)という市民の国であり、神の国はやがて天国へと繋がる。
 《神のことばを聞くことの重要性)》
 このたとえ話で、蒔かれた種が豊かな実りをもたらすのは、「しっかり聞く」ということが繰り返し強調されている。神への奉仕の中で最も大事なことは、み言葉を聞くことだと言っても過言ではない。「あなたがたが、私たちから聞いた神のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実そのとおり神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いています。」(Ⅰテサロニケ2:13)とパウロが述べているように、み言葉は信じる者のうちに働く。
 聖書を理解するには、知的能力の有る無しよりも、信仰という霊的要素が大きく、聖霊の助けを必要とするので、信じない者には無用なものとしか思えない(へブル4:2)。「お話しください。しもべは聞いております。」(Ⅰサムエル3:10)とサムエルが応えたように、信頼して謙虚に、耳を傾けよう。
 《福音の正しい聞き方)》
 神の国の福音は、語りかけを理解しようとも、悟ろうともせず、神の赦しを求めなかったイスラエルの民に倣ってはならない(12節、イザヤ6章)。神の国の福音、つまり神の支配を、人がはねのけることができるようにも思える。だが、それは私たち自身の真相、自分がどのような地であるかを暴露するものである。この世に国が力によって支配するのと違い、神の国は、言葉によって統治する。人間の自由と人格的信頼、聞いて従うことにある。
 「道端」とは、世俗主義の人生観に凝り固まり、自己満足で揺るがず、福音を受付ない。「岩地」とは、虚無主義の人間で神のことばが現実の世界を支配するとは信ぜす、表面的な同意に留まる。「茨の地」とは、世の心遣いや富名誉に左右され、キリスト者としての生活を半端なものにする。
 それらと違い、「良い地」とは、み言葉をそのまま受け取り、従う人である。しかし、決して善良な心と素直さと熱心な信仰の持ち主というべきではない。むしろその反対の、自分が利己的で虚無的な、世俗性に支配されている「心の貧しい人」(マタイ6:3)であることを自覚している人と言えよう。彼は、時間的にはその生涯を、内面的には二心なく全身全霊を挙げてみ言葉に取り組み、その教えに従う人のことである。
 み言葉こそ人を生かし、豊かな稔りをもたらすものだからである(Ⅰペテロ1:23~25、詩篇19:7)。

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