2020年5月3日 義人の道と悪人の道

幸いなことよ 悪しき者のはかりごとに歩まず罪人の道に立たず嘲る者の座に着かない人。

主のおしえを喜びとし 昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。    詩篇1:1~2(1~6)

 本日の礼拝から詩篇第一巻1篇から42篇までを学ぶ。第1篇は、人の向かうべき方角を明確に読者に教えている。

神のみこころへの服従と神の摂理に対する信頼、これが神の恵みに与る幸いな生き方だ、と詩人は歌い上げている。

 《人の幸せ》「山のあなたの空遠く、『幸い』住むと人のいふ。ああ、われひとと尋(と)めゆきて、涙さしぐみ、

かへりきぬ。山のあなたになほ遠く、『幸い』住むと人のいふ」(カール・ブッセ)という感傷的な詩がある。

幸いを、人はどこに求めることが出来るのか。

旧約の詩人は「幸いなことよ」という挨拶で現実的な祝福への道をここに示している。

聖書の神は、人間を創造された時、「彼らを祝福された」(創世記1:28)。

「私の力よ。私はあなたにほめ歌を歌います。神は私の砦私の恵みの神であるからです」(詩篇59:17)とあるように、

神は恵み豊かな方である。その恵みに浴する立場を、聖書は「幸い」と表現している。

悔い改めて神の赦しと助けを求め、神の教えに信頼する者すべてに、神の祝福は注がれる(ローマ10:12~13)。

この詩篇は、そのことを、時が来れば実を結ぶ流れのほとりの木や、風に吹き飛ぶもみ殻などの田園風景を借りて

描写している。

 《義人の道》神の恵みに浴する幸いな人、義人とは何者か。彼は、神に逆らう不敬虔で、神や信仰を愚弄する

「悪しき者たち」者たち(詩篇10:4)に近づかず、行動を共にすることも避け、仲間となることを拒絶する。

義人は、信仰者と歩みを共にすることを大事とし、神を嘲る者と共にいることを避ける。

義人の特長は「主の教えを喜びとし、昼も夜も、そのおしえを口ずさむ」(2節)ことにある。

「教え」とは、律法のことだが、神のことば聖書を指すと理解してもよい。

聖書を「喜びとする」とは、聖書に親しみ、その教えを自分の意志として受け入れ、実践しようとすることを意味する。

義人は神のみ旨を尊び、昼夜の生活すべてをそのみ旨に適うように心がける。

まさに「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい・・・家で座っている

ときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい」(申命記6:5~7)と言う神の勧めの

実践である。神は、そのような義人に尽きることのない恵みを注ぎ、時至れば実を結ぶように祝福される。

「そのなすことはすべて栄える」と確約された。神に信頼する者には神が味方、行き詰まりはあり得ない。義人は神の

祝福を受けいつしか豊かな実を結ぶ大樹に育つ。

 《悪しき者の道》だが、悪しき者はその逆の道を辿る。

籾ともみ殻とは、見た目は同じでも、中に実を持たないもみ殻は、風に吹き飛ばされ、実のある籾と区分けされ、

燃やされて処分される。

風に吹くままに飛ばされる定まりのないもみ殻は、神に逆らい、人生の確たる目的もなく、虚栄と楽しみに生きる

悪しき者の姿と重なる。バプテスマのヨハネは、再臨されたイエスは、「手に箕を持って、ご自分の脱穀場を隅々まで

掃ききよめられます。

麦を集めて倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされ」(マタイ3:12)ると警告している。

悪しき者は、提供された救いへの招きを拒絶し続け、その終点は、主の審きを受けての滅びである。

 《福音による義人の道》しかし、人が義人の道を歩むことは難しい。旧約預言者も「人の心は何よりもねじ曲がっている。

それは癒やしがたい」(エレミヤ17:9)と嘆き、使徒パウロも「罪は戒めによって機会をとらえ、私のうちにあらゆる欲望を

引き起こしました・・・私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか」

(ローマ7:9、24)と嘆かざるをえなかったが、「今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません」

(同8:1)と、キリストの十字架の救いによって義とされ、祝福されていることを喜んでいる。義人に程遠い罪人の私たちだが、

「私たちの主の恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに満ちあふれました。『キリスト・イエスは罪人を救うために

世に来られた』ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。

私はその罪人のかしらです」(Ⅰテモテ1:14~15)とのパウロの告白に同意して喜ぶ。

新たな神の律法、十字架の福音を通して教えられた神の愛、復活の力、再臨の希望に、私たちは喜びをもって信頼し、キリスト者

としての道を歩む。「父がその子をあわれむように主はご自分を恐れる者をあわれまれる」(詩篇103:13)ことを喜びながら。