- 三澤隆男
今日のみことば(ルカ6:7) 2022/3/2
律法学者たちやパリサイ人たちは、イエスが安息日に癒やしを行うかどうか、じっと見つめていた。彼を訴える口実を見つけるためであった。 ルカ6:7
安息日の会堂は、神を礼拝し、神の教えに従う決意を新たにする場であった。それを率先して果たすべき律法学者パリサイ人たちは、イエスに嫉妬して彼を失脚させる口実を得ようと、神をそっちのけに見張っていた。神を愛し隣人を愛する決意を新たにする場で、彼らは障害を抱えた隣人も、嫉妬の対象者をやっつける都合のよい道具でしかなかった。その心得違いを指摘されると逆上し、「彼らは怒りに満ち、イエスをどうするか、話し合いを始めた。」(11節)という。彼ら同様に、私たちもまた、隣人に嫉妬し、彼を引き下げるアラ探しする傾向を捨てきれないでいる。
神様。私も傲慢で嫉妬深い者です。自分の罪深さを率直に認め、悔い改める者でありますように。